目覚め

 今日は目覚めについての気づきを書こうと思う。


 目覚めとは、私たちが現実だと思っているこの世界が夢だと気づく事。夜寝ている時が本当の現実。


 明晰夢というのがある寝ているとき夢の中で夢だと気づく、そうすると意識した事がすぐに現実になる。つまり望むままにどんな夢も見れる。夢をコントロールできるらしい。


 これを聞いて感のいい人はお気づきだろうが、そもそも現実と夢が逆ならば、今私たちは夢を見ている状態でそれに気づいた。という事は現実と見えるこの世界をいくらでもコントロールできる。諦めるなんて言葉は存在しなくなる。なぜなら望む事は叶って当たり前だから、つまり現実的に考えるというこの現実=夢(イリュージョン)だから現実的な考えはイリュージョンならではの発想という事になる。あーなるからこーなって、こーなるから対策してとか複雑に段階をふむというのはイリュージョンだからこそできる事。


 つまり本当の現実には複雑なプロセスといったものやタイムラグは存在しない。意識した瞬間に物質化するのだから。


 だから何かに執着するとか叶わなくて苦しいとか焦りとか、こうしなければダメといった縛り等も存在しない。


 概念が存在しない世界。つまり非二元、ノンデュアリティー、統合された世界。


 どうせ叶うのだから執着する必要がない。種を撒いたのだからいずれ芽は出て花がさく。それは最高のタイミングで起こるのだから信頼して待てばいい。  

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  公園で見つけた蝶。黒地に水色の模様がひかめえめに入ったルリタテハというとても美しい蝶だった。


 池の柵の上に止まって、羽を開いり閉じたりして私が近づいても逃げずに美しい羽を観察させてくれた。


 そんな蝶を見て気づいた事がある。蝶の羽は閉じているときは敵から身を守るために周囲に擬態したとても地味な茶系の色合いで、あまり美しいとは言えない。けれどひとたび羽を開くとまるで別人のようにこれでもかと美しい本当の姿を現す。


 これは人間の精神的な面にも繋がっていて、私達が自分をオープンにする事を恐れて自分を抑えて生きているとき、蝶の羽が閉じているときのように周囲に擬態して目立たずにあまり美しくない。それはそれで周りと一体になっていて悪いことてではないけれど、羽を広げてオープンマインドになったとき、私たちの美しさが全面にでて周りの景色に花を添える事になる。


 私なんかが目立つなんて気が引ける。私は周りと同じことをやってけして目立ってはいけないんだ。そんな風に思ってしまいがちだ。


 けれど蝶が羽を開いて美しく舞う姿を嫌う人はあまりいない。美しい羽を見ていい気分になる人がほとんどだろう。

だから私たちも本音で自分自身を生きる事をためらわないでいれば、私たちの本来の美しさは周囲の人を幸せにする力も持ち合わせるのかもしれない。


 それから蝶が羽を開いたり閉じたりするとき外側の羽も内側の羽も見える、つまり一見美しくない部分も美しい部分も両方あって蝶という存在が成り立つという事。けして美しいだけでは成り立たない。

 

 私たちにも自分の認めたくない、闇の部分があって、それも含めた存在であってそれでいいという事。


 自分の闇も光もオープンにしていきたいなと蝶を見て感じた気づき。




自由でいたい

 私にとって一番大事な事は自由でいる事。

結局これなのかもしれない。


 何かに縛られたり支配されたりする事が本当に嫌いで、例えばそれは組織だったり、やらなければいけない事、しがらみや、時間、常識。


 どれだけ自由でいられるか、それを自分に許して、自由な世界を作れるか?

 それが私の人生のテーマなのかもしれない。


 周囲の人や世間の常識に惑わされず、自分のやりたい事を叶えて行く人生。


 それから癒しというのも人生のテーマかもしれない。自分自身を癒して、自由にリラックスする事で周りに貢献していく。

 

 そんな事も私の人生のテーマかもしれない。


 定期的に襲ってくる無価値感、自分の影、闇を受け入れられなくなって消えたい、死にたいという感情の波。


 だけど最近三浦春馬さんの自殺報道で感じだ事。会った事もない人だけど、「14才の母

」というドラマがなぜか印象に残っていて主題歌だったMr.Childrenのしるしという曲も何か心に引っかかる曲で、私は芸能人の死をそんなに重く受け止めるタイプじゃないけど、今回の報道はショックが大きかった。それは何故かと考えたとき、多分自殺という死因が大きいと思う。


 自ら命を断つということは全てを否定してしまうという事だから。

 今まで関わってきた人達や事柄、思い出全ての繋がり、過去、現在、未来を自ら否定してしまうということだと思う。

 

 よく自分を責めるのは良くないとか、自分を愛する、自己肯定感が大事という話を聞いて頭では理解していたつもりだったけど、今回の事で体感としてわかった気がする。


 自分を傷つける事は=周りを傷つける事


 三浦春馬さんが亡くなられてしまったのは本当に残念だけれど、私達に愛とは何かを教えてくれたのかなと思う。


 愛について学ぶには色々な経験が必要だと思う。 その答えは人の数だけあって、ひとつとして同じものはないのだと思う。


 私は生きようと思う。それと最後に私の経験から知って欲しい事がある。


 私自身真面目に生きなければいけない。それが良い事と教わって生きてきたし、頑張る事、周りを大事に生きるという事が大切だと

思ってそういうふうに生きようと努力してきたけどどうしてもできない自分を責めてきました。


 そして数年前から、逆に頑張らない努力をしてきました。時間を守らない、人との約束を破る、嫌な事は断る。クズな人になりました。 今までそれなりに真面目にしようとある程度いい人で常識人を装ってきたところからクズな自分を見せるのは本当に怖かった。


 でもやってみてわかった事。クズは嫌われるし、批判されるしけして楽じゃないという事。


 だから真面目で素晴らしい人もクズな自由人もどちらもある意味楽だし、ある側面では苦しい。


 嫌われる勇気を持って素の自分で生きる事は本当に大事だと思う。


 

子供の頃の事

子供のころやっていた1人遊びがある。予言ゲームというゲーム。少し先に何が起こるか当てるゲーム。それは当たる事が無かった。


 そのときなんで出来なくなってるんだろう?なんで能力が使えないんだろうという感覚だったのを覚えている。かと言って前世の記憶があるわけではない。


 ただ違和感だけはあり他にも服を着る事を不自然に感じたり、共感覚があり、言葉に色を感じたり。言葉を不便に感じたり説明する事をすごく面倒に感じて、なぜ一瞬で沢山の情報を送信できるのに言葉という不便で誤解を生むようなものをわざわざ使うのか?と生きづらさがすごくあった。


 それから嘘のものに冷めてしまうというのもある。作られたものや本質的に大切では無いものを茶番だなとか下らなく感じてしまったり、だからどこか他人をバカにしたような態度を知らず知らずとって周りに指摘されたりときには嫌われたりもした。


 自分には本当の家族が他にいる。空をしょっちゅう見上げては帰りたいと感じる。

孤独感を感じる。


 そんな感覚が長くあった。数年前に同じようにそういった感覚をもつ人たちを知った。

スターシードという概念で、宇宙の別の星の魂、宇宙由来の魂をもつ地球人。


 感覚派で地球の常識を超越しているので、周りから見ると突飛に見えたりする。


 これから私たちスターシードの時代がやってきていて、どんどん生きやすくなり力を存分に発揮していい。

 魔法や引き寄せの法則シンクロニシティを沢山起こしてリアルディズニーランドを作る時代。


 夢は叶って当たり前。



新しい時代

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今日はニュースを見て感じた事をシェアしたいと思う。


記事の内容↓

古代マヤ文明の遺跡の調査を進める日本や米国、メキシコなどの研究チームが、メキシコ南部のアグアダ・フェニックス遺跡で、同文明で最大とみられる建造物を確認した。南北約1400メートル、東西約400メートルにわたっており、祭祀(さいし)用とみられる。社会的な階層がはっきりしていない紀元前1千~800年に築かれたとみられ、研究チームは「社会的な不平等が小さくても大規模な共同作業ができることが示され、従来の文明観を覆す発見だ」としている。


研究チームは建造物の体積を320万~430万立方メートルと推定する。マヤ文明で最大とされてきたエル・ミラドール遺跡の建造物より、40万立方メートル以上大きいという。建造物の上部には平面状の「基壇」が広がっている。発掘調査で未使用のヒスイの石斧(せきふ)が見つかったことなどから、建造物は共同祭祀に使われていたとみている。  茨城大の青山教授は「人々が定住を始めて間もない時期に造られたものだ。神聖な山を築くことで、共同体のアイデンティティーを確立しようとしたのでは」とする。他の遺跡で見られる権力者を示す石彫などは見つかっておらず、アリゾナ大の猪俣教授は「人々が自発的な意思で集まって、建てたのかもしれない」と話している。(小川裕介

以上朝日新聞の記事を引用


古代マヤ文明で最大級だと思われる遺跡が発見されたニュースあなたはこれを読んでどんな風に感じただろうか。


私がこの記事を読んで感じた事は

古代マヤ文明で最大級の遺跡(建造物)が発見され、作られた時期が社会的階層がはっきりしていない時期、つまりピラミッド型の支配の無い時期に大規模な共同作業が成り立っていた事。 

また建てられた目的が権力者の為のものでは無く、共同体のアイデンティティを確立するために建てれたものである可能性が高い事。

アリゾナ大の猪俣教授が言うように人々が自発的な意思で集まって、建てたのかもしれない」という事。


今世界的なパンデミックげ起きているこの時期にこのニュースが発表された事は、本当にタイミングで今歴史の変わり目に私達がいる事を示していると思う。


今まで長い歴史の中私達はピラミッド型の階層の中で、真実を隠されて生きてきて、自分達には力が無いように思わされ、自分以外の誰かの言う事を聞かなければ生きていけない。


管理されなければ私達は何もできないと思いこまされていた支配社会から、私達は本来心の奥には愛があって、共同体意識があり全てを内包した自分である。だからこそ一人ひとりは自立していて自分のためにも人のためにも動ける、本来の私達の姿を思い出させてくれるようなニュースが開示されているんじゃないかと思う。


今世界中の人が自分自身の力を取り戻して、今後世界が大きく変わって行って、統合された世界になっていき、そこからきっとETとのコンタクトももっと公になって本格的に宇宙時代に突入していくのだと思う。


感受性の強さと苦しさ

 私はおそらくhss型hspADHDアダルトチルドレン、さらに自己愛性パーソナリティだと思う。 診断を受けたわけではないけれど、当てはまる部分が多い。

 他人に理解されない。自分でも自分の事がわからない。 考え方がコロコロ変わる。
周りの人や事柄に圧倒され易く、敏感で慎重な反面、好奇心旺盛で突発的な行動を取ったり刺激を求める。
相反するものが自分の中にあって混乱する。
常識的な自分が自由人な自分を批判する。
他人から引かれたり、受け入れられないだろうと思ってしまって変に背伸びをしてしまったり、恥をかくのを極端に恐れたり。
優しく愛情深い自分と冷静で他人を受け入れない自分。きっと他の人もある事なのだろうけど私は極端な気がする。

だけど幸せや楽しさ、他人の感情や感覚、食べ物の味や空気の匂いを繊細に感じたり、多分健常者よりも振り幅が大きく感じられる。その分苦しさや不快感も大きい。

ときには死にたいと思う事もある。

常識と本当の自分との狭間で両側から引っ張られて張り裂けそうになる苦しみ。

幸せになる事への恐れ

自分を認める事の難しさ

色々な感情が日々渦巻く

思考が紡ぎ出す行き詰まり
永遠に辿りつけない迷路の中を彷徨うような、ドグラマグラのような一瞬狂いそうになる自分...

自分の答えに自信が持てない。

だから決断せずに風化させて逃げてしまう。

そろそろ決断して自分と向き合いたい。

新しい次元

 10年以上前に色々と悩んだ事がきっかけで宇宙がなぜあるのかとか私達はなぜ存在するのかに興味が出て、量子論等の自然科学系の本から精神世界について読み漁った時期があった。


 そのとき感じた事が私達人類が体験してきた事はDNAに刻まれている。だから沢山の体験から人類はどんどん進化しているという事。あたり前の事かもしれないけど。

何か一見大変な出来事はその経験を経た後確実に私達を新しい次元に連れて行ってくれる。


 これは私の個人的な考えだけど、自然とテクノロジーが完全に融合した世界が近い将来来るのではないかと思う。そして私はそれを望んでいる。


 環境問題が叫ばれている昨今の解決策になる事が今回のパンデミックによって導かれている現実がある。

 

 人間が外にでて排気ガスを撒き散らさないだけでかなりのC O2削減になっている。

だからと言って今後人類がみんな外出せず家にいた方がいいというわけでは無くて、今まで後回しされていた問題に向き合っていくきっかけになるんじゃないかと思う。


 例えばエネルギーに対して考え直すきっかけにもなり得る。少しずつ電気自動車等も増えてきたけれどまだまだ石油を使用する事が多い現状を環境に優しいエネルギーに大幅に変えていこうとか。


 お金の本質について考えるきっかけになったり、世界的に経済が混乱しもしも崩壊したらと考えたとき、物事の本質が見えてきて私達には選択肢がある事に気づける。



 今私達は一見深刻な状況にいるけれど、この後の可能性に目を向けて沢山のアイデアを出して素敵な未来を描くときかもしれない。